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\(^o^)/>こんにちはKarlさん
∧,,∧
ミ,,゚Д゚彡> 何か用かな?
\(^o^)/> ランゴバルドを倒しましたか?
∧,,∧
ミ,,゚Д゚彡> 倒した
\(^o^)/> そうですかありがとう王冠すごいですね
∧,,∧
ミ,,゚Д゚彡>それほどでもない
ほらこんなもん
すっかり忘れられていた中世西洋史ですが、現在ちまちまと作っております。
おそらく大陸とイングランドで前後編に分かれる気がします。
前編の投下目標は10月中旬くらい?
それまでにケリをつけないと冬コミの原稿が間に合わないという……
そういやファイルをうpするのを忘れていた。
ファイルはこちら
問
王政の廃止からペロポネソス戦争に敗れるまでのアテネの政体の変化について
次の語句を使い400字以内で説明しなさい。
ソロン デマゴーゴス ヒッピアス ペリクレス
>>1の解答
王政廃止後のアテネは貴族が政治を独占する貴族政であった。だが商工業の発達で富裕となった市民の地位が向上すると、彼らは参政権を求めて貴族と対立した。このためまずドラコンの立法により法律が成文化された後、ソロンの改革によって債務奴隷を禁止しつつ、財産の多寡で参政権を認める財産政を採用した。しかしこれは市民間の対立を招いたため、ペイシストラトスによって僭主政が敷かれた。だが彼の後を継いだヒッピアスは暴君化したので、クレイステネスは陶片追放を導入し僭主政を禁止した。またこの改革で伝統的な部族制が解体されたため、その後の民主政の基盤が築かれた。その後ペルシア戦争を機に無産市民の地位も上昇すると、ペリクレスはデロス同盟の資金を流用して彼らの参政権を認め、成年男子による民主政が完成した。だがこの民主政は次第に衆愚政治に堕落し、最後にはデマゴーゴスが登場してペロポネソス戦争に敗北することとなった。(396字)
出典は某T大。
正直なところ、世界史で面白い問題を出す大学ってけっこう限られてしまうんだよね。
ファイルはこちら
問
王政の廃止からペロポネソス戦争に敗れるまでのアテネの政体の変化について
次の語句を使い400字以内で説明しなさい。
ソロン デマゴーゴス ヒッピアス ペリクレス
>>1の解答
王政廃止後のアテネは貴族が政治を独占する貴族政であった。だが商工業の発達で富裕となった市民の地位が向上すると、彼らは参政権を求めて貴族と対立した。このためまずドラコンの立法により法律が成文化された後、ソロンの改革によって債務奴隷を禁止しつつ、財産の多寡で参政権を認める財産政を採用した。しかしこれは市民間の対立を招いたため、ペイシストラトスによって僭主政が敷かれた。だが彼の後を継いだヒッピアスは暴君化したので、クレイステネスは陶片追放を導入し僭主政を禁止した。またこの改革で伝統的な部族制が解体されたため、その後の民主政の基盤が築かれた。その後ペルシア戦争を機に無産市民の地位も上昇すると、ペリクレスはデロス同盟の資金を流用して彼らの参政権を認め、成年男子による民主政が完成した。だがこの民主政は次第に衆愚政治に堕落し、最後にはデマゴーゴスが登場してペロポネソス戦争に敗北することとなった。(396字)
出典は某T大。
正直なところ、世界史で面白い問題を出す大学ってけっこう限られてしまうんだよね。
ファイルはこちら
問
つぎにかかげる8つの事項は、すべて、ある同一の世紀に関係している。それは何世紀か。
また、その世紀における、これらの事項が関係する地域の発展の特徴を論述せよ。
その際、この世紀にみられるそうした特徴が、それ以後の発展に対して
どのような歴史的影響を与えたかという点に、とりわけ留意すること。
解答では、下記の諸事項に、随意の順序で、必ず1回は言及し、下線を引いて明示せよ。
解答に際しては、まず問われている世紀を明記し、全体で700字以内で書くこと。
キリスト教の国教化 フン族の西方移動 コンスタンティノープル遷都
コロヌスの土地緊縛令 西ゴート族 キリスト教徒大迫害 ニケーア公会議 ドミナートゥス
>>1の解答
4世紀である。ディオクレティアヌスは混乱していたローマ帝国の統一を維持するため、皇帝を神格化し権力を集中させるドミナートゥスを創始したが、混乱した世情を背景に増加していたキリスト教徒は皇帝を崇拝しなかったため、彼によるキリスト教徒大迫害を招く事になった。だがそれでもキリスト教は拡大を続けたので、コンスタンティヌスはこれを公認して帝国の統一に役立てようと考え、ニケーア公会議を開いてアタナシウス派による教義の統一を図るに至った。しかしこの結果異端とされたアリウス派はゲルマン人への布教を目指したため、後代における対立の火種となった。また彼は税収を確保するためコロヌスの土地緊縛令を出し、土地と小作人を一体として扱った。これにより小作人は地主への隷属を深めていき、後の農奴制へと発展していった。他にも彼はコンスタンティノープル遷都を行って帝国の中枢を東へと移したが、これは東欧におけるビザンツ帝国の興隆を準備する一方で、西欧でのローマ帝国の統治力を弱めることになり、後にゲルマン人の侵入を許す事となった。その後テオドシウスの頃、フン族の西方移動を契機にゲルマン人の大移動が激化すると、西部を中心にゲルマン人の勢力が拡大し帝国の分裂傾向は決定的となった。彼はキリスト教の国教化を行って統一の維持を図ったが、最終的に帝国は東西に分裂した。続く西ローマ帝国も混乱のうちに滅亡し、跡地には西ゴート族などのゲルマン人の部族国家が形成されるが、その中で古代ローマ・キリスト教・ゲルマン人の文化は次第に混交し、ギリシア人に継承されたビザンツ帝国とは異なる、キリスト教を中心とした西欧文明が形作られていくのである。 (698字)
ちょっと長いですが、面白い問題なので解いてみてください。出典は某T大だそうです。
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